4月29日、無事にジョグジャカルタはバントゥル県パンダック郡ウィジレジョ村ゲシアン村で、京都大学東南アジア研究所の震災募金を財源とする「プカランガン計画」の開始式がありました。ガジャマダ大学留学中の日本人学生による寸劇で、これからここでおこなわれる予定の活動などを、こどもたちや女性たちにわかりやすく説明。集まったおよそ120人ほどの住民も、最後まで楽しみながらこのイベントに参加していただけたようでした。
さて例によって、ジャワ語とインドネシア語混じりのPidato(演説)を用意し、Sambutan(挨拶)をおこないました。このときはだれにもなにも指摘されなかったのですが、日本に帰国後、友人によんでもらい、チェックしてもらったところ、「おもしろい。。これはジャワ語みたいなインドネシア語だね」とのコメント。ついでに用意していた計画の活動主旨説明文も読んでもらったところ、そちらもジャワ語的インドネシア語文だとか。書いている本人はまったくの無自覚なので、興味深い指摘でありました。
さて、このプカランガン計画は、地域研究のあたらしいパラダイムを見つけることも念頭において立てられたプログラムです。研究者が積極的に地域にコミットしながら、一緒に新しいことを始めようという試みです。今月末には、ジャワの村の人々を連れて、マカッサルを訪れます。自然災害の被災にあった村を訪問し、社会経済的な復興がいかにおこなわれたかをみてもらおうと考えています。スラウェシとジャワは、どのようにつながっていくことができるのでしょうか。
同じインドネシアでも、ほとんど接点のないままでいたかもしれないふたつの地域。これを日本人が媒介役となって地域と地域の新しい動態を作りだすことを試みようとしています。うまくいくも失敗もなく、なにかおもしろい反応がみられたら、それでOKだと思います。マカッサル育ちのくせに、ジャワ語的インドネシア語を話す立場として、どんなふうにこのプログラムを進めていくことができるのか、とても楽しみにしています。

celebes2007-04-16

Siapa nama kita?
スラウェシでこのように質問されたら、どのように答えるべきでしょう?一般的なインドネシア語の辞書的意味に従って頭の中で翻訳すれば、一瞬、とまどうはずです。この質問の意味は、「わたしたちのお名前はなんですか?」となります。えっ?、誰のことをきかれているのだろう?と、あたりをきょろきょろと見回すことになるでしょう。
スラウェシで聞かれた場合は、素直に、「はい、わたしの名前は、ダエン・ケボです」と答えます。スラウェシではkitaは、「あなた」という意味で使われています。しかも適度に丁寧な意味合いが込められていますので、Andaと同義語といっても差し支えないでしょう。日本で少しインドネシア語を勉強してきた人たちは、大抵、この質問に面食らいます。この人には、自分の背後に別の人影がみえるのだろうか?と思うこともあるでしょう。
スラウェシのほぼ全域、東カリマンタン沿岸部、そしてマレーシアはサバ州のあたりまで、二人称単数としてのkitaの使い方がみられます。
さて、そのような環境でインドネシア語を勉強してきたわたしは、ジョグジャカルタではたいへんな苦労をしました。Kitaはとても便利なことばで、適度な丁寧さが込められているため、初対面の人で名前がよくわからない場合などに重宝できました。またタクシーの運転手、店員さん、郵便局の窓口のひとに、普通に問題なく使える人称代名詞です。しかしこの法則は、ジャワではなりたたない。??なに??、だれのことを聞いているの?と問い返されたときに初めて、ああ、ここはスラウェシではない、そんなことを実感したものです。

celebes2007-04-12


ジャワ震災緊急支援活動
京都大学東南アジア研究所が昨年おこなった、ジャワ震災緊急支援活動で集められた義援金の使途です。募金していただきましたみなさまには、報告が遅くなりましたことをお詫び申し上げるとともに、あらためて御礼を申し上げます。

大型の地震津波などの自然災害のみならず、地滑り・洪水・有毒ガスの発生などの自然災害は、インドネシア国内で日常的に発生しています。被災地域の復興には、さまざまな形の活動が関わっています。自然災害からの復興を遂げた地域やその途上にある地域が、なんらかの形でつながるネットワークをつくることができるだろうか、そのようなことを考えています。自然災害を経験していない地域が、防災や減災について考えるようなきっかけを作ることができないだろうか、そのようなことも考えています。スラウェシとジャワを結ぶものは、案外とこのような日常生活の中で起こりうる現象となるのかもしれません。地域研究のひとつの方向性となりうるでしょうか。

(浜元聡子:京都大学東南アジア研究所)

リドワンくんの著書

スラウェシ科研のメンバー、マンダールの海の男であるムハマッド・リドワン・アリムディンくんも制作に活躍した番組が放映されるとのお知らせを、宮澤京子さんよりいただきました。

<放映日>
4月15日(日)、夜23:00〜23:30、テレビ朝日系列
素敵な宇宙船地球号
”ペットブームの光と影Vol.3 光るメダカの驚異”

養殖サンゴや 交配された新しい魚たち。
遺伝子組み換えで 光るメダカも登場した。
水槽の中で 今何が起こっているのか?
観賞魚最前線を追う。
(取材地:台湾、インドネシア、日本)

演出:門田 修
撮影:興 正勝
VE:杉浦由典
編集:伊藤 誠
構成:岩井田洋光
プロデューサー:宮澤京子
:安田裕史(テレビ朝日
制作:海工房
テレビ朝日

こちらより → exblog インドネシア語の中庭ノート
象とその鼻 : exblog インドネシア語の中庭ノート:このエントリーがたいへん興味深かったです。
ジョグジャカルタで、にわかジャワ語学習徒となったわたしは、しばしばジャワ語の先生に、「インドネシア語でもいつもジャワ語の語順で話していますね。なぜに?」と面白がられました。
Gajah berbelalai panjang. :象は長い鼻をしている/Gajah belalainya panjang. :象の鼻は長い。ジャワ語の先生によれば、わたしはいつも後者の語順で話しているのだとか。以前にジャワ語を勉強していたのかとも尋ねられました。ところが、わたしはジャワ語はおろか、インドネシア語すらも独学でしか勉強したことがありません。十年目にして初めて、語学学校で文法を習ったわけです。マカッサル語もまた耳学問ですが、バランロンポ島の中学校で、muatan lokal basa mangkasarak だけ、聴講していた程度です。それでもジャワ語の語順のことで、さほどに苦労しなかったのは、やはり京都弁の影響なのでしょうか。あるいはやはりマカッサル語の影響なのか。いずれにしても、インドネシア語の先生が、わたしが書いたインドネシア語の作文を添削する度に、「ジャワ語の語順で書かれたインドネシア語ですね‥」と苦笑されていたことを思い出しました。

celebes2007-04-09

マカッサルとジョグジャに共通する乗り物、ベチャ。旅行ガイドブックやその他の情報源によれば、ベチャを利用する前にはかならず値段を交渉せよ、とあります。が、ことばに問題がなかったり、行き先のまでの距離や道順をわかっている場合は、このプロセスは省略可能。むしろ、下手に値段を交渉してしまうと、とんでもない金額を請求されることもありますし、値段交渉にうんざりしてしまい、二度と乗りたくなくなってしまうこともあります。マカッサルだと、対抗四車線かつ交差点に信号があるおおきな通りをひとつの単位の目安とできます。これをひとつ、ふたつと数えて、支払う金額を決めます。自分で納得いく金額を計算したら、そこにさらに1,000ルピアほど足す。これでほぼ問題はありません。問題は、「単位」をどのように設定するかです。これがむずかしいのですが、ある程度、失敗を重ねれば、なんとなく相場がわかってくると思います。しかしながら、マカッサルとジョグジャは、どちらも一方通行の道がたくさんあることが特徴。行きたい場所がわかっていても、どの通りをどちらから通るかによっては、自分の思う金額では足りないくらいに遠回りをしてしまうこともあります。ベチャに乗るときは、損得を考えるのではなく、景色を楽しむとか、のんびりと観光気分に浸るといった気持ちで乗る方がよいかもしれません。
さて、スラウェシの海ではどうでしょう。基本的にはどんな漁船にも便乗可能です。何泊もするような場合であっても、場所さえあれば、船に乗せてくれます。問題の料金は、基本的には無料。食事を用意してくれることさえも普通にあります。降りるときには、ちょっとした心付けをわたしたり、たばこのような嗜好品やお菓子をわたします。写真は今年の1月3日、バランロンポ島からマカッサルへ戻るナマコ漁船の上からの写真。西スラウェシでアダム・エアーが行方不明になってから3日目の朝、ようやくスプルモンデ諸島近海は、嵐が去り、霧が晴れました。それでもこの日、バランロンポ島から出航した船はこの一隻だけでした。この空のいろと波の立ち方なので、このあたりの漁船は年末(イドゥル・アドゥハ)以来、6日間、一隻も出航しませんでした。十分に注意するようにとの指示が政府から出されていたからでもあります。

スラウェシ島情報マガジン Majalah Informasi Sulawesiの脇田清之さんのサイトに南スラウェシ州マロス県の旧日本人軍人墓碑の情報が追加されました。

→ こちら マロスの旧日本軍人墓碑

バンティムルンからチャンバへ抜ける道から脇に入ったところにあるとのこと。この道は、少しずつ傾斜が高くなるあたりで、そろそろ両脇にキャンドルナッツの植林が見え始めるあたりです。つやつやとした常緑樹の高木は、クミリkemiriと呼ばれます。トウダイグザ科アブラギリ属の仲間。油分を多く含む種子は、料理や菓子の材料として使うほか、蝋燭の材料にもするとか。チョト・マカッサルのブンブ(スープの材料)やカレーなどの材料として欠かせません。数年前まで、インドネシア国内で売られているシャンプー、サンシルクの黒シャンプーは、クミリが主成分として使われていました。今は同じ黒でも、別のものに変わっていたように思います。クミリはさまざまな食材の油脂としても使われてきたとのこと。チョト・マカッサル用のサンバルにも使うことがあります。長細いハート型のつやつやつとした葉の木々が、ずっと上の方まで見え始めるところです。日本軍がこのあたりに入ってきた当時、すでにクミリも使われていたのでしょうか。

バンティムルンは、南スラウェシの地元の人々にとっての観光地の一つ。雨季になると、川の水量が増え、滝の勢いが増して、とてもきれいな場所です。川はそれほど深くはなく、大人も子どもも、川遊びを楽しんでいます。滝壺の左手には、水源まで歩いていくトレッキングコースがあります。一応、遊歩道が整備されていますが、雨季にはご注意を。遊歩道が冠水しているために、滑りやすくなっています。ちなみに水源とされる池(あるいは水たまり?)は、水も薄緑色に苔生しており、いかにもなにかが棲んでいそうな雰囲気はありますが、デートコースらしく、適度に人影もあります。また蝶々の産卵場所としても知られるバンティムルン。標本コレクションも一般公開されています。