総選挙、今昔。

4月9日は、インドネシアの総選挙の当日でした。全国的に一斉休日となったこの日、投票時間は正午まで。三々五々に、開設された投票所に出向き、選挙人登録を済ませて、4種類の投票用紙をもらいます。投票したい政党あるいは立候補者の名前にチェックを入れて、もとどおりに投票用紙を折りたたんで投票箱に投函して終了。投票所の入り口に貼られた立候補者や政党の名簿を見て、誰に投票するかを決める人が多く、時間帯によっては混雑するところもありました。

今から10年前、スハルト政権崩壊後、初めての総選挙がおこなわれた頃。バランロンポ島を含めたスプルモンデ諸島南部地域は、黄色を政党色としたゴルカルが圧倒的な支持を集めていました。選挙の1週間前までは、島のどこを見ても、島の周囲に係留されている漁船のマストのどれを見ても、黄色一色。島の人は党の支部から配られた黄色のTシャツを着ており、レフォルマシ(改革)の時代だとはいうけれど、辺境の小島まではやはり届かないものなのかと思ったものです。ところが、選挙まで一週間を切ったところで、突如、赤色と青色が、黄色一辺倒の島に広がりだしました。と、黄色と黒、緑色もまた、モザイクの隙間を埋めるように現れてきました。赤地に黒の牛の顔の旗が、ナマコ漁船のマストにたなびいています。その当時はまだたくさんあったパンノキの幹には青や黄色、緑に赤色の政党の旗がペンキで描かれています。色とりどりのTシャツが島に溢れている光景を見て、もうゴルカルの時代は終わったね、と若い学校の先生がささやいたことをよく覚えています。

さあおもしろくなってきたとばかりに、選挙当日、投票所に設定されたバランロンポ小学校で写真を撮っていたところ、わたしは突然、島外から来た選挙監視人から「それ以上、写真を撮ったら警察に引き渡す」と勧告されました。新聞記者やその他のマスコミ関係者は、事前に登録して撮影許可をもらわねばならなかったとのこと。投票している人の写真を撮っている訳ではないのだからと申し立てたところ、さあたいへん、当局に反抗したということで、カメラとフィルムは没収されてしまいました。選挙が終わってからカメラは返してもらいましたが、この件で、わたしは投票時間中、ずっと自宅待機を命じられていたので、投票所の様子をみることもできませんでした。しかし確かに多少のルール違反があったかもしれません。長期間にわたる独裁政権がようやくおわり、インドネシア全体がおっかなびっくり変革の時代に向けて動き始めていた頃のことです。なにをどこまで許可してもよいか、そう簡単には決められない背景もあったのでしょう。

さて今年の投票所の様子です。投票所に近づくと、「やあやあ、これは日本人。よくぞ選挙の観察に来てくださいました。とくと観察してくださいよ」などと、アナウンスされてしまいました。その後も入っていく人の写真を撮ったり、中に踏み込んで全体の様子を観察したり、投票用紙とにらめっこしている人の写真を撮ったりしてみました。どこからもアラームは聞こえてきません。開票時も投票所に紛れ込み、老齢に達した人々がめがねをかけ直したり外したりしながら、「これはどっちに投票しているんだ」などと頭を付き合わせている様子をおもしろく見ました。最後には、「外国人の目から見て、これはどう思うかね?」などと助けを求められたりして、のんびりとした選挙の一日を過ごしました。。いいえ、のんびりといっても、すべての開票作業が終わったのは4月10日の午前1時のこと。10年前の緊張漲った総選挙の一日を思い出しながら、翌日の投票所解体作業を眺めていました。