広がる世界

半年ぶりの更新となります。
スプルモンデ諸島で携帯電話を使う人が増え始めたのが2000年頃のこと。当時はまだ契約料金が高く、一部のジュラガン(マカッサルでは雇われ船長)やプンガワ(船主)が、マカッサルの華人ボスなどと連絡を取り合う目的で貸与されたりプレゼントされたりで、手に入れるのが普通でした。そのうち、東カリマンタン州やパプアに移動したりナマコ漁船などで操業中の船に乗っている家族などと連絡を取り合うために、携帯電話を持つ人が現れるようになりました。安くはないけれど、中古品がマカッサルでも出回るようになり、少しお金を貯めれば携帯電話を持つことができるようになっていたのです。ちょうど2001年頃、マカッサル市が有線の電話を架線するから出資金を出すようにとお触れを出しました。余裕のある世帯は出資金を出し、実際に電話が敷かれるようになりました。ところが毎月の基本料金は電話を使っても使わなくても支払わねばならなかったり、しょっちゅう不通状態が発生し、ほとんど使うことができなかったりで、近所の人が気安く電話を借りに来るのがたまらないという人が続出します。次第に電話料金の滞納が続き、いつのまにかごく限られた世帯だけに電話が残るという事態になっていました。
しばらくしてバランロンポ島南部に、Indosatという電話会社の大きな受信塔が建てられました。さてこれを機会にバランロンポ島だけではなく周辺の島にも一気に携帯電話ブームが到来します。この少し前にFlexiという携帯電話の番号が市中に出回るようになっていました。これはインドネシアの電信電話公社Telekomが販売する携帯電話専用電話番号で、固定電話の携帯電話版だと説明されます。料金設定は固定電話に準じますので、一般の携帯電話番号から電話をかける場合は比較的料金がお得になります。マカッサル市内だと0411、ジャカルタだと021から始まる地域番号(市外局番)のうしろに電話番号が続きます。地域番号エリア内であれば、固有の電話番号だけでOK。ただし地域番号の異なる場所からは、この電話番号は使えません。今ではあらかじめ登録しておけば電話の受信はできるようになっているとのこと。電話料金の安価なFlexiと、いつでも受信状態がよくはっきりと聞こえるIndosatと、2種類の電話番号を持ち、目的や状況に応じてカードを差し替えて携帯電話を使いこなすことができるわけです。
この2月に、ジョグジャカルタの調査地に、マカッサルから古い友人たちが遊びに来ました。気が置けない間柄の彼女たち、始めてのジャワ島上陸にそわそわしていたのは最初だけで、そのうちなにやらしきりに電話でやりとりを始めました。尋ねれば、バランロンポ島の人たちとのこと。マカッサルのパサールで仕入れるような繊維製品や化粧品、家具装飾品は外国からの輸入ものも多く、国産であっても輸送コストが加算されているため、仕入れ価格がたいへんなことになっているとのこと。ジョグジャカルタであれば、なにかおもしろいものがまだ安い値段で売られているはず、ちょっと適当に見繕って、まとめて買ってきておくれ…と頼まれたのだそうです。といっても資金はせいぜい一人あたり10万ルピア程度(千円くらい)。これはpercobaan(試し)だそうで、全部売り切れたらまた仕入れるとのこと。はて、仕入れるとはいうものの、みんなは2月下旬にマカッサルに戻るはず。そのあとは誰が?と尋ねれば、その後の仕入担当はわたしが任命されているとのこと。驚きましたがバランロンポの人々のネットワーク作りや利用について長らく調査してきたのです。なるほど、いざ自分がその当事者になってみると、いかにも自然ななりゆきです。国際出稼ぎに行くような人はなかなかいませんが、知り合いの知り合いという糸を手繰りながら、さまざまな場所へ出かけていくのがバランロンポ流です。東カリマンタンから南カリマンタン沿岸部やジャワ北岸の港町といったおなじみの場所に加えて、ジョグジャカルタが加わるのはわたしも楽しみです。わたし自身もまたバランロンポ島から移動した人だと見なされているのだとしたら、移動研究者冥利に尽きる思いがします。別の機会に詳しく書こうと思いますが、ジャワの村でバランロンポから来た娘さんたちは、さまざまなインパクトをジャワ人に与えたようでした。自分がきっかけとなって、思いがけずインドネシアの普通の人たちが新しい場所や人と出会う現場に居合わせたことは、とてもおもしろい経験でした。