• 今日の散文は、スラウェシ科研の研究代表者、田中耕司さんが書いています*1。田中さんは1970年代半ばに、南スラウェシ州ボネ湾の最深部、現在の北ルウ県ウォトゥWotuにおいて、国内移住政策により移り住んできた人々の水田農業と土地利用について調査に従事してきました。今年の夏は、久しぶりにこの地域でフィールドワークをおこなうそうです。
  • 本日の散文の初出は、「Ecosophia エコソフィア」Vol.4(1999:53)に掲載された「フォトエッセイ 家と一緒にお引っ越し」です。「エコソフィア」は民族自然史研究会発行、昭和堂出版の雑誌です。


■家と一緒にお引っ越し
インドネシア南スラウェシ州の国道を、たくさんの男たちに担がれた家がこちらに向かってやってきた。田舎では、家と一緒に引っ越しをする、こんな風景をたまに見かけることがある。このときばかりは、道路をふさぐほど大きな家が動いてきたので、乗っていた車を遠くで停めてすれ違うのを待った。
この州のブギス・マカッサル人はもともと高床住居に住む。礎石のうえに柱を建てて梁を組み、切り妻屋根を乗せれば基本的な構造ができあがる。あとは、板を張りつけて床と壁を造れば完成だ。だから、村のなかで引っ越しとなると、この基本構造の部分だけを移動させればよい。家普請、そして引っ越しは、村の男たちが総出で手伝う。賑やかに作業をして、仕事が終われば振る舞いの食事が供される。もちろん、その炊き出しには近所の女たちが手伝いにやってくる。
ところが、近頃は、煉瓦造りの住宅を建てる人が田舎でも多くなってきた。ガラスの入った窓、タイルで固めた床のひんやりとした感覚、漆喰を塗った白壁。これまでの高床住居にくらべて格段にモダンになるが、壁で仕切られた住宅はいささか閉鎖的になる。風通しが悪くなったと言う人が多いけれども、煉瓦造りはますます増えているようだ。
煉瓦造りになると、助け合いも行われなくなる。ましてや、家と一緒に引っ越すわけにもいくまい。いずれこういう風景もなくなるのだろうなと想っているうちに、お引っ越しは賑やかに目の前を通り過ぎていった。

*1:京都大学東南アジア研究所所長:教授。専門は、熱帯農学・熱帯環境利用論・東南アジア地域研究。インドネシアベトナムラオスなど東南アジアとその周辺地域で農耕文化・技術や熱帯資源利用について調査を行っています。