celebes2005-05-10

  • 今日の散文は、スラウェシ科研研究協力者の浜元聡子さんが書いています。

■10年目の誕生日
南スラウェシ州マカッサル海峡沖合いの小さな島でフィールドワークをするようになってから、ちょうど10年になる。日本とインドネシアを何度も行ったり来たりしている間には、島で誕生日を迎えることも幾度かあった。インドネシア全体ではどうなのかはよく知らないが、私が住んでいた島の人びとは、誕生日を祝うということにはほとんど関心がないようであった。ほとんどというのは、私が来るようになって初めて「Hari Ulang Tahun には宴を開いて祝うらしい」ことを知った人びとが、面白がって私の誕生日だけ、大騒ぎをしてくれるようになったことをさす。日本から来た娘として私を受け入れてくれていた家には、三人姉妹がいた。私が住むようになって間もないころ、長女は東カリマンタンに職を見つけて引っ越してしまったが、あとのふたりはまだマカッサルで大学生活を送っていた。島では初めての女子大生となった姉妹である。都会暮らしも十分に長かった。それでも誕生日祝いとはどのようなものであるか、一度も経験したことがなかったというのは、どういうことだったのだろう。そういうことなら、まあとにかく、やってみましょということで、自分の誕生日を企画することになってしまった*1
出産、結婚、割礼、巡礼出発…と、行事のたびに、お菓子つくり名人やお料理名人である女性がどこからか現れる。こちらの予算を伝えると、材料調達から作業の段取り等々のすべての音頭を取り、必要な人数を算出してそれぞれの人員を配置する。マカッサル語でダワッダワッと呼ばれるこの作業は、若い未婚の娘が社交デビューする場でもある。彼女らを花嫁候補とするような適齢期の息子を持つ女性もやはり、この場に集まってくる。そして、働き者の娘は誰かを観察する場なのである。
「ちょっとしたお菓子と、たまねぎパン*2とショウガ・ドリンク*3でいいだろう」と甘く考えていた私のもとに、妹たちが「予算はこれくらいになってしまうがよいか」とやってきた。その金額は、私が考えていたものを軽く吹き飛ばすほどの素晴らしさであった。「いやいや、誕生日だといっても、もう若くはないのだから、できるだけ質素にしたいのよ」と力説して、なんとかこちらの意図を理解してもらったものの、なぜなんだと不満そうな妹たちであった。そう、私は若い娘さんたちにとって、ひじょうに重要な機会を持つことを拒否してしまったからであった。
今ならば、そのあたりのことに気配りができる。ダワッダワッをするためこそに、なにかしら適当な行事を企画することだってあるのだ。そのころの私はまだ、調査する人間がフィールドの中でむやみに目立ってはいけない云々といったことをつねに気にしていたのだと思う。誕生日祝いは構わないけど、それはあくまでも妹たちなど内輪で小さくしたいという気持ちが先行してしまった結果、彼女たちをがっかりさせることになってしまったのだった。後付的に思うのはそういう殊勝なことである。実際のところ、その年の私の誕生日祝いは、結果として、「これは一体、なんのアチャラ(行事)だ?」と思うくらい、いろいろな人が入り乱れてたいへんな騒ぎとなった。昼間は暑いので、夜の礼拝が終わってからとのお触れを回していたのだが、集まってきたのは妙齢の男女約60人。誰かがダンドゥットのテープを持ってきたり、知らない間にカラオケ大会が始まっていた。たまねぎパンやショウガ・ドリンク、寒天プリンや米粉の伝統菓子のほか、肉団子入りラーメンの鍋、ワサビノキの実のスープ*4、焼き魚などが用意されている。集まっている人は、面識はあるけれど、名前はわからないという程度の人びとであった。今日は誰に呼ばれたの?とたずねてみると、「お菓子があるよとサインがいうから」という。サインって、誰なんだ?なにがなんだかわからないが、人がやんやと集まってくれて、予想外の宴会となってしまったのであった。お料理やその他のお菓子などは、みなさんの持ち寄りとのこと。ケチケチしてしまった我が身を恥ずかしく思ったものである。そしてまた、研究で来ているのだからと立派な心がけをしたつもりになっても、大事な機会を逸していることもあるのだと、遅まきながら気づいたりもした。これも後日談であるが、この日のお誕生会は、深夜2時頃まで続いた。主催者はなんだかんだで気疲れしてしまい、早々と引き上げてしまったのだが、残された客人の中から、二組が結婚に至ったのであった。
私が島にいない誕生日には、今やマカッサルの街中のインターネット屋に出入りするようになった妹たちから、お祝いメールが届く。隣の家のおばあさん三姉妹からの伝言、お世話になっていた家のお母さんとお父さんからのお叱りのことば(なぜ半年も来ないのだ!)、島中の知り合いの近況などが句読点なしで書き連ねられている。そういうわけで、今日、お祝いメールが届いた。今年は8月から行くよ、と返事を書いた。

*1:あとから知ったことであるが、インドネシアでは自分の誕生日は自分でオーガナイズするのが当たり前とのことであった。

*2:マカッサル語でロティ・ラスナ。アカワケギを細かく切ったものを油でさっと揚げ、小麦粉を水に溶いたものに混ぜいれ、油で揚げたもの。朝ごはんやおやつとしてたいへん好まれる。

*3:マカッサル語でサラッバ。ショウガ、コリアンダー・シード、シロコショウ、ヤシ砂糖、ココナツミルクを材料とする飲み物。スカッとした甘さで目が覚めて、元気になる。

*4:インドネシア語ではケロル。30センチくらいの長さの莢の内側の柔らかい部分を歯でしごきながら食べる。莢は硬いので食べない。