こちら(http://blog.melma.com/00132255)にて、ブルネイの「ブギス」と岩手の「モコ」についてのエントリーがありました。→ http://blog.melma.com/00132255/20050608122111

サバ州では南スラウェシ州出身者は、マカッサル人であっても、マンダール人であっても、そしてキリスト教徒であるトラジャ人であっても、自分のことを「ブギスだ」と説明する、という話をよく聞きました。南スラウェシ出身者=ブギス人、という括り方なのでしょう。コタキナバルで働いていたブギス人と、マカッサル市内で偶然、再会したことがあります。マカッサルで会ったときは、その人は自分のことをトラジャ人だと説明していました。トラジャ人だからお葬式や結婚式にはたくさんのブタや水牛を用意しなくてたいへん…という話でした。もちろんコタキナバルにいるときには、ムスリムだとばかり…こちらが思いこんでいたのでしょう。なぜならば、ブギス人はムスリムなのだから*1
向き合う相手によって、民族名を適宜使い分けることは、南スラウェシ出身の人でなくても、珍しいことではありません。その時々で、民族名が与える印象が多様であるからこそ、さまざまな場面を乗り切ることができるのでしょう。
それにしても、ブルネイではブギスが「お化け」の意味になっているとは、興味深いです。シンガポールの地下鉄には、ブギスという駅があります。大きなショッピングセンターやマーケットなどがある賑やかな場所です。この地名としてのブギスには、今、どのような意味が与えられているのでしょうか。勇猛果敢な海の商人やフロンティアを切り開く農耕民としてのブギスを思い浮かべる人は、とても少ないのかもしれません。
ブギス・ジャンクションに行くたびに、無意識のうちにチョト・マカッサル屋*2を探してしまい、なつかしい気分になります。道を挟んで向こう側のアラブ・ストリートのほうを歩くと、モスクの前などで南スラウェシ出身の人に会うこともあります。いつか話を聞いたおじいさんには、マカッサル訛りのインドネシア語がひじょうに愉快だと笑われたことがありました。

*1:イスラームを信仰していないブギス人も少数ではありますがいます。南スラウェシ州シデンレン・ラッパン県アンパリタには、「イスラームに改宗することを拒否してブギスの伝統を遵守しているトロタン」という人びとがいます[立本成文 地域研究の問題と方法―社会文化生態力学の試み (地域研究叢書) ]。

*2:チョト・マカッサルは、茹でた水牛の臓物を刻んだものを、さまざまなスパイスで煮込んだスープに入れたもの。クトゥパックという、パンダヌスやヤシ葉で包んだうるち米のごはんと一緒に食べる。南スラウェシの名物料理。