写真は、2000年に南スラウェシ州テンペ湖にて撮影されたものです(写真撮影:浜元聡子)。今日の散文は、浜元聡子さん(京都大学東南アジア研究所)が書いています。

■テンペ湖の浮き家

東南アジア島嶼部地域の沿岸部に、水上集落が広がる風景を見ることがある。マレー語ではカンポン・アイルKampung Airと呼ばれ、高床式の家屋をそのまま海辺に建てたように見える*1。たとえば、ブルネイの水上集落は、観光名所になるほどに規模・歴史ともに有名である。また東マレーシア・サバ州では、コタキナバル、サンダカン、センポルナなどに、見事な水上集落を見ることができる*2。東部インドネシア地域では、南カリマンタン州バンジャルマシンの水上マーケットのあたり、東カリマンタン州バリクパパンに比較的規模の大きく新しい水上集落を見ることができる。サマリンダからマハカム河を遡る船旅に出れば、中流域の湖水地域にさしかかる頃から、川辺に張り出した家屋が多くなる。
水辺の家屋は、なんとなく不安定で湿気があり住みにくいのではないか…、そんなことを考えながら実際に住んでみると、意外にも快適であることが多い。引き潮のときには水が引いてしまうので、生活ゴミなどが露出した水底に取り残される。それが少々、具合の悪い環境であることを認識してしまう瞬間であるとはいえ、なにかしら「楽しい」のである。川沿いの水上家屋に宿を取ればなおのこと、「海(水辺)」と「森」のある生活が実感できる。そういう楽しさを経験済みだったので、テンペ湖で正真正銘の水上家屋を見たときは、驚喜した。なにしろこの家屋は、杭上家屋などではなく、ただ湖面に浮かんでいるだけなのだ。テンペ湖の水深は浅い。170センチくらいの人が湖底に立っても、せいぜい胸元あたりまでしか水はこない。乾季になると、全体的に水深が下がるため、湖の中央部に家を移動させる必要がある。家屋を水に浮かせている理由である。
現在では、この漂う水上家屋で生活している人はほとんどいないとのことだが、テンペ湖で漁業を営む人びとの休憩場所として使用されている。なかにはワルン・コピ(ちょっとした茶屋)を営業する浮き家もある*3
こういう家にぜひに住んでみたいと思ったのだが、ワルン・コピでコーヒーとピサン・ゴレン(バナナ・フリッター)を食べている間に、私にしては珍しく、船酔いをしてしまった。とくに波があるというわけではないのだが、いつも動力付きの船に乗っているのが原因だったのかもしれない。つまり、適度なエンジンのリズムがあるから船酔いをしないのであって、動力のない家なのか船なのか微妙な空間に慣れなかったからなのだろう。話し込んだあと、さてと立ち上がったところ、えらくふらふらしたものであった。
ところで、テンペ湖には今、問題がいくつかある。そのうちのひとつは、湖に流れ込む川から流されてくる土砂などの堆積物が、年々、増加していること。これが次第に湖の汀線を前進させており、湖が狭くなりつつある。土砂が流されてくる原因のひとつには、流域における急激な土地開発森林伐採がある。湖が小さくなると、漁業に従事する人びとの生活にも影響を与える。この問題については、積年にわたり、林学・農学・地理学・環境学etc.など、さまざまな分野から研究が行われてきているが、湖や河川の流域には、複数の自治体が含まれる事情もあり、統一した見解の下に対応を取るにはまだ至っていない模様である。東南アジアの家屋や集落の成り立ちを見ていると、人間と自然との関係が極めて有機的な結びつきを持っていることに気がつく。家屋や集落の様相の変化を手がかりに、地方分権時代の自然資源管理のあり方を見ることができそうだ。

*1:水上家屋、杭上家屋とも呼ばれる。

*2:サバ州では、バジャウ(サマ)人など、フィリピン南部スルー諸島から移住してきた人びとが住んでいることが多い。

*3:テンペ湖クルージングには、水竜を模した細長いボートが使われる。湖岸の街、センカンに船着き場がある。周遊時間は、休憩も含めて約3時間。料金は交渉力次第。。とくに窓口があるというわけではない。