ニボンヤシ

南スラウェシの工芸品といえば、サロン・ブギスやソンケット・ブギスと呼ばれる織物です*1

サロン・ブギスは、綿糸や絹糸で織られた長さ1.5〜2.0メートルの布を、筒状に縫い合わせて着用するものです。サロン(sarong;sarung)はマレー語源のことば。大陸部東南アジアにいけば、ロンジーなどと言われる衣類です。

現在、工業製品としてインドネシア国内で流通するサロン・ブギスの二大生産地は、南スラウェシ州テンペ湖沿岸のセンカン(ワジョ県)と、東カリマンタン州サマリンダです。現在のサマリンダから少し上流にあったクタイ王国は、17世紀以降、多くのブギス人商人や傭兵をその王国内に迎え入れました。マカッサル海峡からスルー海域にかけての森林物産や、海産物の交易に、南スラウェシの人々の活躍は、なくてはならないものでした。現代に入ってからも、サマリンダと南スラウェシの関係が深いのは、そのような歴史があるからなのです。センカンの織子さんたちが、サマリンダへ出稼ぎに行くことも、家族や親族を訪ねるという目的を兼ねていることがあるのです。

商業ベースで織られるサロン・ブギスは、動力を使った高機織機で織られます。その模様の代表的なパターンには、いくつかありますが、もっとも伝統的だとされるのが、黒地に赤の格子縞模様のものです。墨黒色の生地には、15〜20センチ間隔で赤の格子が入ります。このパターンのものは、結婚式や割礼式などで、男性親族が着用することが多いです。

田舎に行けば、いまだに後帯をつけた座機(back-tension loom)で、トントン、バッタン、トントン、バッタンと、機を織る音が、高床式家屋の床下から聞こえてくることがあります。島嶼部地域では、今ではバランロンポ島だけで、機織りが続けられています。18〜19世紀に住み着いた華人商人が持ってきたということで、華人やマンダール人の末裔が多く住む地区で、織り続けられています。島で織られた布は、島の人が儀礼ラマダン明けの大祭(レバラン)で着用することもありますが、遠く、ジャワ北岸のスラバヤやパスルアン、ジャワ海のサパッカン島近辺などに、ナマコ船などによって運ばれていきます。初めての土地、初めての島、移動した人々、これから結婚などによってバランロンポ島に来るかもしれない人との関係を作るための「もの」として、手渡されていくのです。

インドネシアにも、七夕伝説があるのでしょうか。今時分の季節、マカッサルでは日没後しばらくすると、南の方に南十字星が見えます。深夜12時くらいになると、天の川も見えます。日本では七夕といえば、雨が降ったり曇り空になるというのが相場ですが、インドネシアの空では、年に一回の再会は、毎年、確実でしょうね。

*1:ソンケット・ブギスは、遠くはスマトラにまで交易商品として流通してきた高級絹地のサロンのこと。緯糸を浮織り文様にするのが特徴。金糸や銀糸を使うことも多い。『シッティ・ヌルバヤ』という悲恋小説の中でも、ヌルバヤの母親が、結婚式の身支度にはぜひともサロン・ブギスが必要だという場面がある。→Sitti Nurbaya : kasih tak sampai / Mh. Rusli, Jakarta : Balai Pustaka,1999(第20刷)