■ペット事情

バランロンポ島では、ねこをたくさん見かけます。決まった家の片隅に住み着いているようなのですが、家の人が面倒を見ているというわけではありません。高床式家屋の床下や二階のテラスのあたりで、昼下がりにのんきに日向ぼっこをしているねこと遭遇することがよくあります。飼いねこですかと尋ねると、「勝手にやってくるので困る」などという返事。それでも、邪険にねこを扱うというわけではありません。
ある朝のことです。早朝、アザーン*1を聞きながら、寝床でごろごろとしていたところ、がりがりと私の部屋のドアを引っ掻く音が聞こえてきました。やがてみーみーと泣く声がします。こんな朝早くに、ねこの客?と思ってドアを開けると、真っ白な小さなねこが息も切れ切れに、なにかください、と泣いています。もちろん、実際にねこの話す声を聞いたわけではありません。それでも、ビタミン不足にならないように毎朝飲んでいた子ども用粉ミルクを、ポットの残り湯で大急ぎで溶き、ロウソク用の小皿に入れて、これもまたビタミン不足解消のためにときどき囓っていた幼児用ビスケットを浸してやりました。ねこは、脇目も振らずにぺろりと朝ご飯を平らげたあと、ありがとう、といってよたよたと出て行きました。
不思議なのは、このねこを見たのが、このときが最初で最後だったこと。
後日、南スラウェシ州公文書館で、ロンタラ文書のマイクロフィルムを読んでいたときのこと。南スラウェシでは、真っ白なねこは、神の使いであるという一節を見つけました。ねこは、南スラウェシの創世叙事詩ガリゴ譚I La Galigo」にも登場します。あの朝、私の部屋にやって来たねこがほんとうは「誰」だったのか、知るよしもありませんが、その後、なんとか無事に調査を終えられたことと、関係があるのかもしれませんし、ないかもしれません。。
東南アジア島嶼部でねこといえば、マレーシア・サラワク州の州都クチンです。クチンKucingとは、マレーシア語(インドネシア語)で、ねこのこと。この街にはもちろん、ねこ博物館があります。もう何年も訪れていませんが、今一度、あの真っ白なねこに関する神話が他にもあるのかどうか、調べに行きたいような気がしています。
写真は、2005年1月にバランロンポ島で撮影されたものです(写真撮影:浜元聡子)。ねこのキョウダイは5匹。にっかりと笑っているキキちゃんのおばあさんが、毎日、えさをやって面倒をみています。ねこを怖がる子どももいますが、キキちゃんはねこの扱いがたいへん上手でした。

*1:イスラームを信仰する人の義務のひとつである一日五回の礼拝への呼びかけのこと。早朝4時半ごろ、正午、午後3時過ぎ、日没、午後7時過ぎの計5回、モスクから呼びかけられる。バランロンポ島では、毎回、担当の人がマイクの前で呼びかけのことばを朗唱する。