グヌン・キドゥル県の家(島上宗子)

震災に遭う前のジャワの農村に、短い間だけ、滞在したことがありました。スラウェシの島嶼部に比べて、圧倒的な緑の多さが目にまぶしかったことを覚えています。家屋の外観は、マカッサルやスプルモンデ諸島のどこに比べても、はるかに立派に見えました。家の中に一歩入れば、案外にバランロンポ島の家の中に似た、あり合わせの家具があったり、タイルを貼らない白いコンクリを流し込んだだけの土間などが見えました。赤茶けた煉瓦が積み重ね上げられた家屋の壁は、できるだけ少ない量のセメントが接着剤として使われていました。今回の地震では、伝統的なこのような資材による家屋の構造が、一瞬に崩れ落ち、細かい煉瓦の破片や埃が舞い上がり、人が何かの下敷きになることで、辛うじて身動きが出来たり呼吸ができるための空間を作ることがなかったのだと伝えられています。
スラウェシの伝統的な家屋は、高床式家屋です。屋根組の天井には、天井板が張られていることの方がすくないため、家屋が倒壊する場面では、恐らく、屋根材として使われているトタン屋根がばたばたと下に折り込まれていくことになることでしょう。地震のたびに、震度に耐えうる家屋の建設とその普及といった問題がつねに浮上してきます。こういう伝統的な木造建築の場合、家具などもそれほど多くはありませんし、台所の火元も薪や灯油コンロであることが多いです。スプルモンデ諸島で最近増えてきたのは、高床式家屋への伝統復古ブームです。それまでは、日干し煉瓦を高床の床下部分の壁材や床材として使い、表面を陶器タイルで覆うのが、中産階層以上の家屋のひとつのスタイルでした。これが数年前から、高床の部分は、物置や昼寝スペースとして残しておきながら、生活スペースの部分の壁や床の木材の上から、きらびやかな陶器製タイルで覆っていくスタイルが流行し始めました。高床式家屋の構造として、どれくらいの重量に耐えられるものであるかは、まさに試してみないとわからない次元の問題です。
そこに住む人の生活世界の中では、申し分のない快適さを備えた家屋や、社会的、宗教的立場にふさわしい家屋に住みたいと思う気持ちは、ごく自然なものです。ジャワの復興に際しては、村の復興、新しい家屋の建築は、どのようなプランでおこなわれるものになるのでしょうか。