地震からまもなく1週間が過ぎようとしています。スラウェシ科研のメンバーの中には、長い間、ジョグジャカルタ近郊の農村地域で村落調査に従事していた人もいます*1。それぞれに親しい友だちや知人の安否を気遣っている状況です。
インドネシアへの電話がたまたま通じにくかったからなのか、昨日、ようやくバランロンポ島の下宿の家族に連絡を取ることができました。もちろん、スラウェシ島とその周辺地域には、地震の余波も津波もありませんでした。ただ歴史的に海産物交易を通じて、ジャワ島とは深い縁があり、社会的経済的なネットワークを形成してきた島の人々にとっては、寄港地の人と結婚してジャワ沿岸部に移住、定住するようになった家族を持つ人々も多くいます。その地域は主として、ジャワ島北海岸のスラバヤとその近辺に限られているとはいえ、アチェで起こった地震のときとは情報の伝わり方や量的な質もまた異なるます。圧倒的な情報の中で、災害に遭遇したかもしれない家族や友人知人たちの安否を知る手がかりに目を凝らしながら、名前を知らない多くの被災者のことを思いやる島の人々たちの気持ちが、受話器の向こうから、ひしひしと伝わってきました。
スラウェシ科研の外国人メンバーの中にも、ジョグジャカルタのガジャマダ大学に籍を置く人、家族が住んでいる人などがいます。今までのところ、無事であることの確認が取れています。
今後、京都大学東南アジア研究所では、これまでの研究活動に、甚大なる協力と理解を惜しみなく与えてくれたインドネシアの人々に、どのような形で震災からの救助・復興支援に関わることができるか、そのための情報収集と現状把握に努めています。スラウェシ科研では、インドネシア国内の人々のボランティア活動や、ジャワ地震への関心の持ち方などもまたお知らせしていきたいと思っています。
アチェでの経験が今回、どのような形でフィードバックされるのでしょうか。ジャワ地震からの復興には、プランバナン遺跡や王宮の修復を中心に据えた観光産業の再建という課題が含まれることになるでしょう。東南アジア地域研究者として、これまでの経験がどの程度に復興支援に貢献できるかまだわかりません。しかしながら、何らかの形で、関わっていくことになるものとして状況把握に努めていこうとしています。
(東南アジア研究所:浜元聡子)

*1:島上宗子さんなど。