celebes2005-10-26

下記で、シンポジウムの案内をしています。
10月28日、インドネシアからは話題提供者として、Taufik Abudullahさんをお招きしています。Taufikさんはインドネシア各地のイスラームの歴史をまとめた『インドネシアイスラム 』(タウフィック・アブドゥルラ編 ; 白石さや, 白石隆訳 めこん、1985)を編著しています。この本の中には、スラウェシ科研スプルモンデ班にとって、たいへん重要な記述が含まれています。
少なくとも18世紀前半ごろには、サレモ島にイスラームの寄宿塾(プサントレン)が開設されており、多くの若者がスラウェシ島内外(その多くはより東のほうの島嶼部)から集まったとのこと。
この話はひじょうに有名ですので、初めて調査をはじめた頃に、バランロンポ島の人に尋ねたことがありました。ある年齢以上のほとんどの人は、サレモ島にプサントレンがあった、と断言していました。ところが実際にサレモ島に行ってたずねてみたところ、本当はサレモ島からほど近いサブトン島にあったのだといいます。事実、サレモ島には現在、プサントレンの影も形もありません。
先達ての夏の調査の際、浜元と長津はサラッポロンポ島を訪れています。ここでの聞き取りによれば、プサントレンがあったのは、サレモ島、サブトン島、そしてサラッポ島だったとのこと。。サラッポ島では、今でも子どもたちへのイスラーム教育がひじょうに熱心におこなわれていました。子どもたちは小学校へ入る前から、コーランを読経するための学校(TPA:Tempat Pengajian Al'Quran)へ通い始めます。ここでは発音記号(読点?)なしでアラビア語を読めるようになることを目指しているとのこと。ただしくコーランを理解するためには、アラビア語からという指導がおこなわれているそうです。スプルモンデ諸島からは、毎年、100人以上がメッカ巡礼を実現しています。宗教への関心がひじょうに高い地域ですが、サラッポ島のようなアプローチで宗教を理解しようとするところは、他には皆無といえます。プサントレンがあったという名残が島の人たちの意識を高めているというのは短絡的な解釈かもしれません。それにしてもおもしろいと思いました。

そんな話をお伺いできるかどうかわかりませんが、Taufik Abudullahさんはどのような話題でお話をしてくださるのでしょうか。他の3カ国からのスピーカーの方々のお話も合わせて、どのような東南アジア研究のかたちがみえてくるものか、とても楽しみです。