celebes2005-10-31

写真の女性は、バランロンポ島の飲料用の公共井戸の管理人をしているミナさんとニニさん母娘です。
島には飲料水用の公共井戸が3カ所あります。いずれも海岸部から内陸部に向かったパンノキの林の中にあります。ミナさんが管理している井戸は、その中でももっとも古い井戸で、バランロンポ島の島民のみならず、周辺の島々の人からも頼りにされている井戸です。
ミナさんはアラブ人の末裔です。マラッカ王国が陥落した後、マレー半島からはムラユ商人やアラブ商人が、ゴワ王国とタッロ王国の庇護を求めて、移動してきました。バランロンポ島は、ムラユ商人とアラブ商人が活動拠点とした後、さらに南洋交易のため、マカッサルのふたつの王国と深い関係を結びつつあった華人商人たちも定住しはじめました。本拠地はマカッサルの市街地に求め、商業や漁業の実質的な活動前線を、島嶼部に設置したとされています。
アラブ人はKeturunan Arabとも呼ばれますが、オラン・サイエorang saie'とも呼ばれています*1。サイエとは何かと島の人に尋ねたところ、あまりはっきりとしたことはわからなかったのですが、シャーSyehということばから来ているのではないかとのことでした。シャーとは、皇帝や王を意味するペルシア語源のことばです。マカッサルの王国では、必ずしも王位につく者だけではなく、それに準じるような尊敬を集める人に対して、称号として使われました。その多くがイスラームを南スラウェシにもたらしたアラブ人の宗教者であったからでしょう。とくにアラブ人の末裔に対して、「サイエ」と呼ぶようになった…という説明を受けました。
マカッサル海峡は、現在ではインドネシア、マレーシア、そしてフィリピンの国境が存在します。17世紀にはこのような国境はありませんでしたが、小さな王国が点在し、さまざまな地域や王国からの商人や海賊、あるいは小さな舟で海産物を採集する漁民たちが行き交う海の空間でした。国境が画定され、国境を越える人の移動にも制限が与えられるようになりましたが、人々のアイデンティティの表象に、当時に活躍した多彩な人々の来歴が残されているのでしょう。