celebes2006-10-14

いささか旧聞に属する話ではありますが、今年の8月の南スラウェシ州における独立記念日前後のお祭りは、この数年、より正確には1998年のスハルト体制崩壊後、もっとも活気に満ちたものだったように思われました。バランロンポ島は小さな島ですが、8月の第一週目から、毎夕、島全体が参加するようなさまざまなスポーツや娯楽が催されていました。とく8月14日ごろからは、毎晩、全島の小学生が参加する余興大会が、小学校主催でおこなわれました。カラオケ、ダンス、ダンドゥッド、詩の暗唱、、、。小学校の校長先生の開幕の辞によれば、わたしも名誉審査員として、毎晩、独立記念日まで、この行事に出席して子どもたちの活動を審査する役目を仰せつけられていたようでした。8月17日本番は、この10年では初めて、バランロンポ島行政村の長が、国旗掲揚の場に出席し、独立記念日に当たっての演説をおこないました。いつもは代理の書記官(島在住)が毎年、変わらぬ文書を代読するだけだったことを考えると、一体、なにが起きたのだろうかと思う出来事でした。とはいえ、終始一貫、独立記念日関係の行事は、住民主体で繰り広げられていました。この傾向が、1998年以前からのものであることを考えると、海の社会の地方自治は、遙か昔からすでに存在していたものなのかもしれません。中央政府からも、スラウェシ本島からの政府からも遠く離れた海の空間では、どこかに頼るという発想が、端からもてなかったのかもしれません。一方では、例年と違い、行政村長が出席するという興味深い変化(あるいは変化球)がありましたが、住民主体の行事がこれほど活気的かつ独自に勝手におこなわれた背景には、行政村長を自ら選ぶことができない島民たちのささやかな抵抗が込められていたのかもしれません。わたしはほぼすべてのRWが主催する行事の名誉審査官を務める機会を得ましたが、村役場の役人は遠くの方で、静かに行事の展開を見ていたようでした。(写真・文:浜元聡子)