4ヶ月余りのジョグジャカルタ滞在中、ジャワの人の生活の中で興味深かったのは、「どんな日に生まれたのか」というという情報の役割。自分の誕生日がジャワ暦でどのような曜日であったかが、その後のその人の人生行事のすべてに関わってくるというのです。西暦の七曜日とジャワ暦の五曜日の組み合わせは、35種類。35日ごとに巡ってくる生まれた日と同じく見合わせの日が、その人にとって特別な日となります。そうなると、当然、この情報をもちいた占いが存在します。性格分析から相性占い、今日の占いまでを確認できるのが、このサイトです。

→ http://www.ki-demang.com/
→ http://www.ki-demang.com/php_files/02%20kalender%20weton%20on%20line.php こちらに誕生日を入力します。
→ http://www.ki-demang.com/php_files/03%20kalender%20pawukon%20on%20line.php こちらもどうぞ。

結婚相手を決めるのも、いつどこでなにをするのも、自分が生まれた日の属性から決めてしまうのだとか。もちろん、みんなが信じているわけではありません。スラウェシの人も、ジャワ暦を使いますが、なんといってもやはり、木曜日の夜か金曜日が大事な日です。ジャワ暦を使うのは、家族の誰かがナマコ漁で出漁している場合の日数計算など、家を離れて旅に出ている人のことを案じるとき。ちなみにスラウェシの若い人は、日本とおなじで、西洋占星術が好きです。雑誌や新聞の占いコーナーを熟読する友だちは真剣な表情そのもの。占い師などもたくさんおり、村には必ず、手相見のプロがいます。当たったことは一度もありませんが、なかなか説得力のある話し方をします。これも日本とおなじでした。

マカッサル市郊外にある国立ハサヌディン大学研究棟に、マカッサル・フィールド・ステーション(MFS)があります。これは、スラウェシ科研とおなじく、2007年3月末日で終了した21COEプログラムとの共同で開設したスラウェシ地域研究の拠点です。学術的調査のためにマカッサルに滞在し、南スラウェシ州のみならず他の州の基礎的な情報(統計や論文、図書、地図情報)を必要とする人々に、便宜を供与する一方、ここに集まるおおくの人の情報交流の場となることを考えて開設されました。エレベーターのない建物の5階ということで、残念ながら、おおくの人に知られる存在でもなく、不便な場所ではあります。それでも、インドネシア国土調査局(BAKOSULTANAL)から発行されている地形図、インドネシア海軍が毎年発行している最新の海図などを、デジタル保存して管理しています。紹介状の必要はありません。現在のところ、一時的に常駐の担当者が不在ですが、5月以降、新体制が整う予定です。
観光で訪れる方も、是非一度、お立ち寄りください。連絡先は、後日、こちらで紹介いたします。

一昨日、3月31日は、イスラーム暦では預言者ナビ・ムハマッドの生誕日、マウリッドでした。
南スラウェシでは、自分が礼拝に行くモスクに、供え物を持って行きます。スプルモンデ諸島では、5リットルから10リットルくらいの大きさのプラスチックのバケツ一杯に、ミニャ・カド(ココナツ・ミルクで炊いたモチ米のごはんの中に、アヤム・カンポン(地鶏)を揚げたものが中に隠されている)や儀礼用菓子、果物などが詰められています。バケツはいわば、おせち料理における重箱のようなもの。これをサロンや風呂敷、ビニールなどで包みます。それらの結び目のところに、このバケツを用意した人の名前を書いた紙が送り状のように留められています。名前の他、「なにかひとこと」が書かれていますが、これはアラビア語あるいはロンタラ文字で書くのが慣例。
モスクに集められたバケツは、モスク運営委員会の人がきちんとリストアップしたのちに、比較的貧しい世帯の人へと分配されます。モスクに集まっているこどもたちにも、それとは別で、一人分ずつに適量に分けたものが配られます。島によっては、各世帯の主婦がバケツをモスクに持って行き、イマームによる読経を受けたあと、そのまま持ち帰るところもあります。その後は、近所の人に配ります。近所の人も持ってくるので、いわば供え物の交換。バランロンポ島では、ムラユ人としては初めてのシャー・バンダール、ダト・パベアン(Dato Pa'beang)の末裔であるムラユ人協会のメンバーが島を訪れ、島のモスク運営委員会の人と一緒に、タンバリンや太鼓、弦楽器などで音楽を奏でながら、バラサンジを謡う年もあります。
マウリッドの前の月、サファル月には、マンディ・サファルがあります。親戚や近所どうしが誘い合って、干潮時にしか顔を出さないような砂地だけの島を目指して船を出します。全員が、七夕の短冊のような紙片に、自分の名前と「なにかひとこと」をアラビア語かロンタラ文字で記したものを用意していて、これを海に流すのです。日頃は海水浴などしない女性たちも、このときは腰のあたりまで海水に浸かって、存外に楽しそうにしているのがおもしろい光景。なにかひとことは、クルアーンから引用してくることもあるし、好きな言葉を書くこともあるとのこと。一年の健康と安寧を祈願するための儀礼とのことです。

バランロンポ島のバティック・プカロン

久しぶりの投稿です。
しばらくジョグジャカルタに滞在しておりましたので、すっかりとスラウェシから遠のいてしまった感もありますが、まだまだスラウェシ地域研究は続きます。
ジョグジャカルタ滞在中に勉強していたジャワ語。ジャワ語の文法書の良書、TATA BAHASA JAWA MUTAKHIRの出版社、Kanisiusのような出版社がスラウェシにあればと思ったものでした。マカッサル市内にも、小さな出版社がいくつかありますが、たいていは重刷されません。見たときに買っておくしかありません。
Kanisiusは、全国的なベストセラーを出しているわけではありませんが、昨年のジャワ地震以降、家屋再建に自力で取り組む人の参考になるような良書を相次いで出版しています。
Kanisiusmediaで紹介されているベストセラー本、Seri Pengetahuan Lingkungan-Manusia-Bangunan PEDOMAN BANGUNAN TAHAN GEMPA / Heinz Frick & Tri Hesti Mulyani。9,000ルピア(約112円)ということもあって、建築を専門としない人でも気軽に買って読んでみようかと思える本です。内容も、手書きのイラストが多用されており、ぱらぱらと見ているだけで、視覚的に情報が入ってきます。グラメディアなど主要な大型書店では、建築書籍コーナーに並べられていますが、売れ筋の本なので、平積みされています。何冊か、バントゥル県の被災者のかたへのおみやげとして買いました。
Kanisiusからは、同書の著者ふたりによる、Seri Eko-Arsitektur 2 ARSITEKTUR EKOLOGISが出版されています。こちらも良書。初刷は、ジャワ地震の約2週間前。わかりやすいことばと、手書きのイラストのシリーズは、現在9冊ほど刊行されています。

celebes2006-11-22

21COEの国際シンポジウムが終わって2週間。インドネシアから参加していただいたスラウェシ科研のメンバーも、ほぼ全員が、無事に帰国しました。短い間でしたが、日本での再会を楽しむことができました。
サテライト・ワークショップ「地方分権下の自然資源管理と海域生活世界−インドネシア・スプルモンデ諸島から−」には、朝10時の開始から、大勢の方々に出席していただくことができました。遠方より、脇田清之さん(こちらスラウェシ島情報マガジン Majalah Informasi Sulawesiを運営されています!)にもお越しいただきました。久々に、アグネス・ランピセラさんとお会いされ、ワークショップ終了後も、和やかに歓談されていました。
初めての海外遠征で、若干、緊張気味ではありましたが、マンダール出身の「海の人」ムハマッド・リドワンくんも、綿密なフィールド・ワークに基づくスラウェシの海のルンポン漁の報告をしてくださいました。愛媛大学の藤田佳史くんもまた、ルンポン漁に関する漁村社会学的な報告をしてくださいました。スラウェシを調査研究地とする若手の研究者の報告がおおかったわけですが、、スラウェシ研究の新しい世代が結集した、ひじょうに貴重な機会だったと思います。その幕開けをスラウェシ科研の最終年で飾ることができたといえます。が、スラウェシ地域研究はますますこれからも、おおきく前進していくような予感に溢れた、よい機会を持てたように思っています。
スラウェシ科研は、とりあえず、一旦終了しますが、スラウェシ地域研究の種はすでに発芽し、しっかりとした双葉を出したのではなかったでしょうか。
今年度の活動は、11月24日からの島上宗子の中スラウェシ州調査、12月下旬に予定されている赤嶺淳・長津一史の東カリマンタン州調査をもって終了いたします。今後はこの3年間の活動の報告書作成に取りかかる予定です。

サテライト・ワークショップのお知らせ

celebes2006-11-07

ショート・ノーティスとなってしまいましたが、明後日、下記のサテライト・ワークショップが開催されます。

地方分権下の自然資源管理と海域生活世界
インドネシア・スプルモンデ諸島から−
Natural Resource Management in the Maritime World of the Spermonde Archipelago under Decentralisation

  • 時間 午前10時より午後4時過ぎまで
  • 場所 京都大学百周年時計台記念館 会議室Ⅰ

*開場の詳細はこちらからどうぞ。

スラウェシ科研のうち、スプルモンデ班のメンバーからの報告が中心となります。
プログラムはこちらにあります。
遅沢克也による「チンタラウト号」の進水式のフィルム上映などもあります。
学術的な報告会というよりは、マカッサル・フィールド・ステーションを拠点とした調査研究活動の様子をお話しする場となりそうです。スプルモンデ諸島とはいかなる地域であるのでしょうか。使用言語は英語ではありますが、顔ぶれをみて、適宜、インドネシア語でのディスカッションにスウィッチすることになりそうです。多数の方々のご来場をお待ちしております。
なお事前の登録は不要です。スラウェシの海や山の民のごとく、ふらりとお越しくださいませ。
本日の写真は、2006年8月24日に、スプルモンデ諸島ルムルム島で撮影したものです(浜元聡子)。
高床式民家の壁に描かれていました。写真はその一部である潜水している人の部分を切り出してあります。空気ボンベを背負い、ダイビングスーツを着用、両手に持っているものは、漁毒漁のための道具です。スプルモンデ諸島地域における漁業の様子を、上手に表しています。

celebes2006-10-14

いささか旧聞に属する話ではありますが、今年の8月の南スラウェシ州における独立記念日前後のお祭りは、この数年、より正確には1998年のスハルト体制崩壊後、もっとも活気に満ちたものだったように思われました。バランロンポ島は小さな島ですが、8月の第一週目から、毎夕、島全体が参加するようなさまざまなスポーツや娯楽が催されていました。とく8月14日ごろからは、毎晩、全島の小学生が参加する余興大会が、小学校主催でおこなわれました。カラオケ、ダンス、ダンドゥッド、詩の暗唱、、、。小学校の校長先生の開幕の辞によれば、わたしも名誉審査員として、毎晩、独立記念日まで、この行事に出席して子どもたちの活動を審査する役目を仰せつけられていたようでした。8月17日本番は、この10年では初めて、バランロンポ島行政村の長が、国旗掲揚の場に出席し、独立記念日に当たっての演説をおこないました。いつもは代理の書記官(島在住)が毎年、変わらぬ文書を代読するだけだったことを考えると、一体、なにが起きたのだろうかと思う出来事でした。とはいえ、終始一貫、独立記念日関係の行事は、住民主体で繰り広げられていました。この傾向が、1998年以前からのものであることを考えると、海の社会の地方自治は、遙か昔からすでに存在していたものなのかもしれません。中央政府からも、スラウェシ本島からの政府からも遠く離れた海の空間では、どこかに頼るという発想が、端からもてなかったのかもしれません。一方では、例年と違い、行政村長が出席するという興味深い変化(あるいは変化球)がありましたが、住民主体の行事がこれほど活気的かつ独自に勝手におこなわれた背景には、行政村長を自ら選ぶことができない島民たちのささやかな抵抗が込められていたのかもしれません。わたしはほぼすべてのRWが主催する行事の名誉審査官を務める機会を得ましたが、村役場の役人は遠くの方で、静かに行事の展開を見ていたようでした。(写真・文:浜元聡子)